煩悩ブログ-あと8日分

ベジタリアン向けのお店があると相方から聞いて、
野菜がすこぶる好きな私は行ってみたいとお店について調べた。

そこでお店の紹介動画をみて、しばらくしまっておいた感情がもんもんしだした。

お店の人(の奥さん?)が、ベジタリアンになった理由が、
「子豚がすこぶる可愛い映画を見てから(食肉にされないよう、仲間がその子豚を守る内容)」とのことで、ちょっといらっとしてしまってから、なぜいらっとしたのか考えてしまった。

実は、私はなんにも食べられなくなった時期がある。
きっかけは、マックで美味しくバーガーを食べてたときに、
ふとお盆に置かれたマックのチラシに「マックの肉は素敵な環境で育った牛で安全なのよ」といううたい文句をみて、自分が今まで食べていた肉の元をリアルに感じたからだ。
そっからしばらく、命が関わるもの全て口にすることができなくなってしまった。
なんとも、現代っ子なきっかけだけど、これのおかげで自分が口にしているもの、
自分が生きている事でいただいている命について考えることができた。

今は克服して、元通りなんでも美味しくいただいている。
(でも、別次元で愛しまくってるカエルだけは食べないよ!
カエルは食べるためにあるのではなく、愛でるためにいる!!!!
だがもちろん食べる人を否定はしない)

「今は克服して」すっごいあっさり書いているが、
そこにいたるまで本当に辛かった。
おなかは減りまくるけど、何も食べたくない。
確実に衰弱していくけど、何も食べたくない。

今、「動物が可愛そう」という理由で食べない人は、命について本気をだして考えたことがあるのだろうか。
今の私からすると、声をあげない植物を食べることでただただ逃げているとしか思えない。

でも…、でも、それを、今感情の上で野菜しか食べることのできないという人に言うのはいかがなものかと、一通り相方相手に憤慨した気持ちを述べたあと考え直した。
私がもし、あの頃の何も食べられない辛い時期だとして、
上に書いたようなことを、誰かに言われたら、怒りしかなかっただろう。
「たった今、何も食べられない勢いで考えてるところなんだよバーカ!」と

「この動画(家畜が殺される様)をみて」
「植物と違い、痛いと感じる神経があるでしょう?」
というセリフを見るたびに、どうしたってもないがしろにされている命を思って悲しくなるのだ。